忠霊塔の闇の主に誓った
まことは巨大な英霊に包
まれ ひらめきの訓練の中
へと導かれていく…    

小  説

ポチよ 泣かないで


青春編
第3話

巨大な犬 英霊の願い
を背負う青春期回想記

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2 話

3 話

 下に ↓

安らぎの家

居候の兄

父の危篤

闇夜の力

愛情と使命
スクロール




    安らぎの家

 仕事が終わり、部屋でぼんやりしている処へ、急にひろこが現われた。「まことくん、晩ご飯を食べにいらっしゃい」「え、いや、いいよ・・」「うちのお母さんが料理作って待ってるんだからさ、さあー早くおいで!」遠慮するまことを押し切るように連れ出した。

母親のような暖かいひろこの手がまことの手を引いていた。強く握り、暗闇の道を姉弟のように歩いていった。彼女の家に向かう道の途中には、昔、関東大震災の時、朝鮮人の大量虐殺のあった広場があった。薄気味悪い道が、この日だけはロマンチックだった。

 十五分ほど歩いて、ひろこの家に入ると懐かしい夕げの香りがした。奥の座敷には、ご馳走が準備してあり、ひろこは新しい座布団を持って来てまことを座らせた。 まことは緊張して正座して待った。「まことくん、正座なんかしねーで、さあ、足を崩して座んねーしょ」ひろこ母親マツが鍋を抱えながらやって来て言った。 マツは、東北のなまりがなかなか取れないままだったが、娘はいつの間にかアカぬけてすっかり東京人となっていた。

 弁当屋を辞めてから、久しくまともなご飯を食べてなかったまことは、母と娘の二人に優しくもてなされ、感謝しながらご馳走を頂いた。 涙が出るほどに、人の情に触れる関わりの喜びを有り難く感じていた。
 まことはすっかりご馳走になり、お礼を言って帰ろうとした。「あんだの夕食は、毎日うちで用意するかんない、仕事が終わったらうちさ必ず寄って、ちゃんと食べてから帰んなんしいよ」「え…はい」東北出身のほのぼのしたマツの口調が、緊張していたまことの心を解きほぐしていた。 

 それからだった。ほとんど彼女の家でご飯を食べるのが習慣となっていき、一家の団欒の中に過ごす癖がついた。帰ろうとすると「今日は遅いから、はー泊まっていぐどいいー」と布団を敷いてくれた。その行為に甘えていくうち、毎日泊まるようになり、すっかりこの宮崎家の家族の一員になっていった。血のつながった親や兄弟より、あかの他人の家庭の中のほうが、はるかに優しくて、自分を優しく包んでくれることが不思議だった。ほのぼのと心が安らいでいく感覚が自分でも感じていた。



 

    居候の兄

 から手紙が来た。「のりおの電話が不通になり、連絡が取れないので心配です。調べてください」母の手紙はまこと宛てに来た初めての手紙だったが、の心配ばかりで、まことのことはひとつも書いてなかった。母の気持ちはのりおに向かっているのが判った。まことはかすかに嫉妬して寂しさを感じたが、打ち消すようにすぐのりおのアパートに向かった。

 部屋のドアを叩いた。電気が点いているのに返事が無かった。「兄貴ー!僕だよ」「おお!まことか」あわててドアを開けた。訳を聞いてみると(何百万という借金を抱えて、会社が倒産した)と話した。 のりおてっきり(借金取りが来た…)と勘違いして、息をひそめて居留守を使っていたのだった。「そんなに困ってるならさ、僕の部屋に引っ越してきたらいいよ。」まことは自慢げに勧めた。「僕には家族同然にして泊めてくれる処があるから、遠慮なんかしないでもいいよ。、一人で気兼ね無く、落ち着くまで僕の部屋にいたらいいよ」「おお、そうか…」


 二、三日してから、のりおは荷物をまとめてまことの部屋に転がり込んで来た。しかし、どうやら金がなくて食費にも困っている様子だった。兄貴のことを話して、まことひろこに相談してみた。 次の日からひろこが一つ多めに弁当を持って帰って来てくれることになった。まことは毎日その弁当を持って行った。 弁当を渡してすぐ帰ろうとすると「おい、たまには泊まっていけ」と言った。だが、まことは一日でもひろこと離れてはいられないようになっていた。ひろこのいない空間の中では安らぎを感じられず、たちまち全身の力が無くなっていくのだった。「いや帰らないと、彼女が心配するからさ…」「ふーん、よく毎日泊めてくれるもんだなー」のりおは半分あきれて言った。
 まことひろこマツといる時、祖母の生きていた、あの頃の空間に戻って浸っているような気がしていた。まことはこの束の間の憩いの時間が、長くないことを本能で直感していた。
 やがて襲ってくる艱難の時に耐えられるだけの「心の支え」「安らぎの時間」が、ほんのわずかの間だけ自分に与えられていることを予感していたのだった。



     父の危篤

 かつえから手紙が来た。「父の命はもうあまり長くないので、早目に帰ってくるように」との手紙だった。のりおは相変わらず仕事にも就けず、借金取りから逃げるために、ひっそり隠れるように暮らしていた。「兄貴、先に田舎に帰って親父をみてくれないかなー。その方が僕も安心だからさ…僕も後から帰るようにするよ。」まことは兄に飛行機代を渡して、すぐ帰るように促した。のりおはしばらくは(どうしようか…)と迷っていたが、意を決して東京の未練をふり切って、福岡に帰っていった。



    闇夜の力

 のりおが福岡に帰ってから、しばらく月日が過ぎた。
まこと仕事が終わって、亀戸の駅前を自転車を押して帰る途中だった。 離れた前方にふと目をやると、駅の街頭に見覚えのある姿があった。 懐かしい「伝道師のなおこ」だった。アンケート板を胸に抱いて、こちらの人ごみの方に視線を向けて立っていた。(こんなところでなおこさんに会うなんて…)不思議な出会いを感じながら、懐かしさでしばらく茫然と立ちすくんだまま彼女の姿を見ていた。


 やがてなおこの視線が自分の方に向いた。まことは慌てて彼女からの視線をそらし、顔を伏せて歩いた。何故か瞬間的に険しい「茨」のような闇に吸い込まれる恐怖がよぎったのだった。 まことは、咄嗟に左の脇道に入って急ぎ足で家に向かった。 商店街がなくなるくらいにしばらく走ったあと、(視線をそらして去った自分の姿を、ひょっとしてなおこが気がついたのではないか・・)と頭によぎり急に負債感が湧いて来た。 逃げていくまことの後姿に気がつき、急いで後を追うなおこが、まことに裏切られた悲しみに、がく然と落ち込む姿が頭に浮かんだ。目前に自分のアパートが見えていたが、急に思い直して立ち止まった。(やっぱり声をかけよう…)くるりと向きを変えると、今来た道を急いで引き返してなおこを探しに戻った。だが既に駅前には彼女の姿はもうそこには無かった。

 彼女を裏切った大きな負債感が、それから毎日のようにまことを責め立てるようになった。 (何があっても、せっかくつかんだ今の幸せな生活を捨てたくない…)と心に言い聞かせた。だがそれを許さない恐ろしい闇の力が襲って来るようになった。(全てを捨てよ…)暗闇から非情の誓いを思い出させる声ならぬ声が聞こえて来るのだった。



    愛情と使命

 ひろこはひと回りも年上で、男勝りで気丈な女性だった。「福岡に帰らなければならないんだ」まことが別れを切り出しても、「何よー、心にもないことを言うんじゃないよ!」と全く本気にせず、特に取り乱したりはしなかった。 だが、まことの帰り仕度が次第に整っていくにつれ、その決意が本気であることを知ってあせり出した。ひろこはいつしか憂鬱で寂しそうな表情に変わっていった。 そして遂に別れの前日になった。無口になった彼女が悲しそうにふとつぶやいた。「私ってなんで、いつも別れる運命の人にしか出会わないんだろう…」「え…」 その時、まことの脳裏に、彼女が話した若い頃の話が、ふっと頭に浮かんで来た。それは、ひろこがまだ若い娘の頃の話だった。 

 

  ---- 回 想 ----

 ひろこは、若い頃に東北の方で肺結核にかかり入院していた。 その頃同じ病棟にいた、画家を目指していた青年と出会った。いつしかお互いに愛し合うようになって、二人は結婚の約束までしていたが、ある日その青年は、遺書もなく突然自殺してしまった。 抱えた悩みを彼女にも打ち明けないまま、静かに命を断って逝ってしまった。 (どうして私に何にも言わずに一人で死んでしまったの…?) それ以来、彼女はずっとその死んだ恋人のことを思い続けて独身を通してきた。 彼女の夢枕には、死んだ恋人の幻が毎晩のように現われ続けていた。だがまことが現われたとき、その幻は突然フッと消えた・・。という。

 ひろこは以前、この不思議な話を打ち明けてくれたことがあった。(彼女は、死んだ恋人がまことの肉体を借りて自分の目前に現われたと思い込んだのだろうか?)

 以前、まことは彼女の家の押し入れの奥にしまってあったアルバムを偶然見つけたことがあった。めくって見ると、その中にはまことに良く似た男の人の写真があった。それを見た時、急に胸が切なくなった。「ひろこさん、この人誰なの?」「あ、ダメよ!、馬鹿!それはもう過去の人だから見るんじゃないの、バカ!」ひろこはアルバムを慌てて取り上げ、元に戻して戸棚を「バタン!」と閉めた。

 ---- 回 想 --- 終

 

 まこと(こんなに内気で、生きることに不器用な自分を、なぜ溺愛してくれるのか・・)今まで不思議でならなかったのだが、その理由が今ようやく判った気がした。(彼女は僕の中にその人の面影を見いだして、まるで償いをするかのように、一生懸命に身代わりに尽くしてくれていたのかも知れない…)まことは自分自身、女性に愛される資格も魅力も何もない男だと判っていた。だからこそ、こんなにも一方的に人から愛される自分が、何か許されないほどの罪を犯しているような気持ちになることがあった。この状況は勿体ないほどに都合よく、又とても有り難いことでもあった。
 たとえ仮の代償行為だったっていい、このまま、ずーとひろこに甘えていつまでも愛され続けていたかった。(不幸な彼女のためにもそうしてあげたい)と思った。

 だがその一方的に与えられたつかの間の情愛にも、ついに終止符を打つ、見えない大きな力が近づいていた。(もともと僕には人から愛される資格などないんだ。このまま、いつまでも人の情けに甘え続けていてはいけない…)心の中にもう一人の自分の声が聞こえて来た。(まこと、自分の道を行け…全てを捨てよ…!) まことは忘れていた昔の非情の誓いを思い出していた。それが更にまことを追いつめていった。(天の要求する「宿命の道」は、かくも厳しい選択を強いるものなのか…)

 離れたはずの「組織の教義」がまだまことの心を支配していた。地獄に落ちて行く恐ろしい恐怖感が襲っていた。だが、打ち消すように(まだ見ぬ遠い将来のことより、今、目の前にいる愛する人とこのまま暮らし続けていきたいんです…)と何度も何度も強く祈った。だが「暗闇の力」まことのわがままな願いなど容赦なく打ち壊していった。 とてつもなく大きな闇の力の前には、どうあがいても勝てはしなかった。(神様、二度と会えないかも知れない…こんなに愛しく大切な人の情愛を切ってでも、行かねばならないもっと大切な道があるのですか・・?) 毎日毎日、悩み続ける苦しい日々が続いた。

 ある夕食後、まことひろこのいる暖かい部屋をそっと抜け出し「フラフラ」と夜道をさまよっていた。気がつくと、いつしか朝鮮人達が虐殺された空き地に吸い込まれ、真っ暗な闇の中に一人で立っていた。恨みの霊がウヨウヨと漂っている不気味な場所だった。 (神様、どうすればいいのですか・・?)暗闇の主体に祈りながら、迷いを吹き飛ばす明快な答えを求め続けた。 何時間が過ぎただろうか、(まことよ、行きなさい・・)闇から声ならぬ声が聞こえ、頭の中に何か一筋の光が閃いた。その声はまことの迷いを一瞬で消した。(約束した「宿命の道」を行けー…)と示した「闇の声」を聞いたとき、まことは二度と逢えない大切な宝であるひろこを捨て、冷たい非情の人間になっていく道を、この一瞬に決めてしまっていた。

 まことはこの事で、やがてひろこを裏切った苦しみに、生涯、後悔し続けることになっていく。(あの闇の声は、一体何だったのだろうか…?) この取り返しのつかない選択は、天の壮大な計画を進める上で、避けて通れない宿命であった。このとき聞こえてきた「暗闇の声の正体と謎」は、遥かずっとあとになってから、回想する時にすべての意味が判ってくる。 まことは、ひろこ「よくやったね」と言ってくれる日が必ず来ると信じて、果てしなく続く「暗黒の道」をその後も歩いて行く。たったひとりで乗り越えなければならない「孤独の犬」を演じていくことを、頭の中に一筋の光が閃いた時に、不思議な直感で決めてしまっていたのだった。

「私、悲しくなるから、駅まで送っていかないからね」「うん…いいよ」「じゃあね、頑張るんだよ」ひろこは平静を装って普段どおりに勤めに出かけた。その後、まことは身支度をしてひとりで部屋を出た。ひろこと住んだ束の間の、暖かい思い出の団地を何度も振り返りながら、最後の別れを告げた。「ひろこさん、悲しませてごめんよ。この償いはいつか必ずきっと果たすからね…」 まことは心の中で謝りながら、静かに東京を去っていった。


――― おわり ―――

まことは果たして、ひろこを捨ててでも、それに代わるほどの価値ある宝を見出せるのであろうか?青年まことには、まだ見ぬ未知の出会いが待っていたが、何も知らず暗闇から聞こえた「行きなさい…」という声をただひたすら信じて、不安と希望を抱いて新たな世界に旅立とうとしていた。いつの日かまことは自分の青春時代を振り返るとき、かつて暗闇の誓いで約束したことを実現して、回想する時がくるのだろうか?驚愕する約束が果たされる時には、どんな運命に置かれるのだろうか。

小説ポチよ 泣かないで
青春編 第3話 おわり

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