英霊の嘆きを背負った少年は
ポチの悲哀の道を再現していく
 幼少記憶は宿命の暗示だった

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少年編

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小説ポチよ 泣かないで

第T章 少年編 第3話

 
巨大な犬 英霊の願い
を背負う少年期回想記

第1話

第2話

第3話

著 ほのぼの童子/田口紀生

スクロール下に





      暗黒時代 

 まことは全く勉強をしなくなり、成績は最下位になった。それでもゼンだけは、親戚の人が来る度に、昔とった「百点満点の答案用紙」を出してきてはしきりに自慢した。まこと祖母に過去の自慢しかさせてあげられない事を申し訳なく思った。幼いころから仲の良かった友達も、幼稚な心を引きずったまま成長が止まってしまったったまこととは話が合わず、だんだん離れていき、仲間はずれにするようになった。 すっかり自信を無くしてしまったまことは、次第に言葉少なくなり自分の殻に閉じこもっていった。やがて無口になったまことは、同級生から愚鈍でおとなしい弱い人間と見られるようになり、まるで奴隷のように色々な無理難題を命令され、いじめられるようになった。 この時から極度の対人恐怖症と強い人間不信に陥っていった。
 ある下校中、まことは同級生にいじめられながら帰って来た。家まで必死に逃げてきて、ハアハアと息を切らせてドアを閉めた。ゼンはただならぬ様子を見て不憫に思った。「まことー、お前、顔色が真っ青だぞ…」今にも泣きそうなまことの頬をそっと撫でて心配した。

 (何故、僕だけがこんなにもの覚えが悪く、意志薄弱の落伍者になってしまったんやろうか…?)まことは一人で悩み続け、性格がどんどん暗く沈んでいった。(学校に適合しない自分は、果たして生きている価値があるの…?。僕はこれでも生きていると言えるの…?)白痴のようになってしまったまことは自虐的になり自己卑下ばかりするようになった。

 この頃、のりおは東京に行ったまま、何年も帰って来なかった。思春期の悩みを一番相談したい時に、頼り甲斐のあるのりおの姿はもう無かった。兄はこのころ、結核にかかった恋人との死に別れで、傷心して福岡の地を去ってから何年も帰ってこない状態であった。

無気力の中学時代を終えようとする頃、まこと「美術学校に行きたい…」に言った。「ばってん、あんた、絵では生活は出来んとよ」チカはきつく忠告した。そう言われると、もう何を目指して進めばいいのか判らなくなった。自分の将来を決める意志を無くし、ただ母の希望する方向を言われるままに受け入れるしかなかった。工業高校の機械科に進む
ことになったが、まことは鉄工所の仕事が嫌いだった。どう考えても未来に希望を持つ仕事ではなく、ただただ気が重くなるだけであった。
 いじめられた心の傷を癒やせたかも知れない「絵の道」をあきらめたとき、「自分の道」が全く判らなくなってしまった。白痴化した心は生きる喜びをなくし、無味乾燥のまま枯れていった。まことの青春時代は、希望の光を見い出せないまま、暗い空虚な日々が繰り返されていくばかりだった。




       孤  独

 まことは高校一年生になった。 ある日、まことが玄関の植木に水をやっていると、小学校の頃の担任だった末松先生が家庭訪問を終えての帰りであちらから歩いて来ていた。まことの姿に気が付くと「おーおー」と驚いて近寄って来た。まことも何か言おうとしたが(あ・先生…)と言ったきり言葉を失った。「おー今井くん、懐かしいねー、今どうしてるの?」まことはすっかり緊張して口ごもってしまっていた。その時、先生の声に気がついてチカゼンも玄関に出て来て挨拶した。 「まことは今、機械科に行っているんですよ」が代わりに答えた。末松先生は相変わらずおとなしいまことを見ながら、せっかくの絵の才能が生かされない方向に進んでることを残念に思った。 

まこと末松先生の小さい頃に似ていた。いつもおとなしく、黙々と絵を描いていたまことを心にかけて、特別に絵の指導をしたことがあった。(まことが元気が無いのは、おそらく選んだ進路のせいだろう…)そう思うと何か可哀相になった。(ほんとにこの道でいいの?)まことをじっと見つめる先生の目はそう聞いていた。



休み時間、眠ったふりして時間が過ぎるのをぼんやりして暮らした。

 高校時代の三年間、まことは真面目に教室の席に座っていたものの、冷たい鉄の話ばかりの講義などほとんど聞いていなかった。ぼんやりと窓の外を眺め、空想ばかり追って過ごしていた。休み時間が来ても、机に顔を埋めて眠ったふりして時間が過ぎるのをただぼんやりして暮らした。(自分と話が合う友達なんか一人もいない…)まことの心は貝のように閉じていった。(たった一人でもいい、言葉を交わさなくても、心の通じ合う真実の友が欲しい…)叶わぬ夢と知りながらも、見果てぬ幻想を描いていくようになった。 本来、一番ひかり輝くはずの青春時代に、まことだけが闇の中に置き去りにされていた。(いつの日か自分の心の闇を取り払って解放してくれる、救い主のような存在が現れないだろうか…)いつしか誇大な妄想を待ち続けるようになり、「救いの叫び」を胸に秘めた沈黙の日々が悶々と過ぎていった。



      反復地獄

 まことは疲れて帰って来る両親に心配をかけたくなくて、家族の誰にも心の悩みを打ち明けることが出来なかった。「あいつは白痴か…?」「あいつは何のために学校に来てるんだ…?」聞こえよがしにいろんな陰口を言われても、石のように堅く心を閉ざして黙々と学校に通った。この辺のふてぶてしさは、新聞配達で鍛えられた忍耐強さが、いつの間にか根づいていたのだろうか…。
 授業時間、ぼんやりと先生の言葉を聞いていたが、気になることを思いつくと、その言葉を何回も繰り返して反復する癖は、高校になっても治らなかった。一度この状態に入ると、全てがその渦に巻き込まれて授業の内容が台無しになった。 時間を浪費する反復地獄に入りそうな予感がした時、他のことを必死に考えて、気持ちをそらす戦いを人知れず繰り返していた。だが結局、その努力は一切無駄に終わるのだった。

 地理の時間だった。先生の講義をうわの空で聞きながら、何気なく地図帳を開いて見ていたが、ふと日本地図に目が止まった。 その姿は「産みの苦しみにもがく女性」の姿のように見えた。日本の地形が、意志を持った者によって造られた、「美しい生き物」に見えた。(何故こんな不思議な形をしてるのだろう…?)いつまでも見て考えていた。




      英霊の塔

 まことは人と関わる言葉を完全に失った。人が近寄ってきて何か話かけて来ても、喉に何かがつまり、声がかすれて話せなくなった。 自閉症と強度の対人恐怖症にかかり、人前に出ると心の鎧を堅く着て身構えた。 まことは、自分の心が仮死状態になってしまったことについてうまく説明できず、どうしても人に相談できなかった。人前でうまく喋れず人を傷つけて悩ませてしまう自分の存在を感じると、苦悩のどん底に落とされていった。友人、兄弟、両親、親戚、全ての人がまことに近づくと、理解できない憂鬱な沈黙の中で、途端に苦しんでいくことを感じた。
 夏休みになって、親戚の人たちが家に遊びに来たが、まことは全てに自信を失い、意志の疎通が完全に出来なくなっていた。(どうせ自分は、みんなの邪魔者なんだ…)みじめな気持ちになり、その場に耐え切れなくなると、裏山の忠霊塔へ一人逃げるようにして登っていった。


 丘の上には「忠霊塔」がそびえ立っていた。 淋しくなるとまことはいつもここに来るのだった。塔の前面には、殉死した若き兵士達の名前が刻まれた銅板がはめ込まれてあった。まことは、亡き叔父の名前を捜して指で撫でた。その瞬間だけ何故か不思議に心が安らぐのを感じた。この塔に登る度に、祖母の部屋の床の間に置いてあった寂しげな兵士の顔を思い浮かべながら、「今井芳喜」という銅版の名前を指で撫でる癖がついてしまっていた。 いつの間にか、叔父の名前の部分だけが、ひときわ光り輝くようになった。
 まことはそれから、いつもスケッチブックを持って忠霊塔に登った。石碑の上に座り、そこから見降ろす海岸の風景を描くふりをしながら、いつまでもぼんやり時を過ごした。
 ある日、姉の信子がそんなまことの姿を見つけて聞いた。「まこと、あんたいつもぼんやりして、独りぽっちでいるけど、充実した生活してるとね?」「うん、充実しているよ」「うそー・・・」信子まことの学校での寡黙な生活を聞いて知っていた。まことが求めている心が充実する時間の意味が理解できなかった。

(朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり・・・)


僕は生きる資格がありません。もうだめです。

ある日、まことは中学生の時の同級生の一人から、吉成という子が精神病院に入ったことを聞いた。まことはその日以来、自分が生きているだけで周りに害をもたらす、迷惑で不要な存在であることを意識するようになった。まことに近づいて関わってくる人間を悩まして苦しませていくことを再確認させられたのだった。彼は勉強はあまり出来なかったが、心の優しい純粋な子であった。      --- 回想 ---

ある日、いつものようにまことが電車に乗っていたら、次の駅では乗ってきた。吉成は中卒で就職してから、電車で今宿駅前の会社に通勤していた。空き席が無くて入り口で立っていたまことに気がついて声をかけてきた。「やー、久しぶりー」横に来て卒業以来の久しぶりの出会いだった。だがまことが言葉を失っていることを知らずに、電車の中でしきりに色々と話題を変えながら話しかけてきた。まことは中学の同級生ですら心を開かない固い石になってしまっていた。次々と話しかけても会話が続かず弾まなかった。次第に笑顔が消え、理解できない不安な冷たい表情になり、やがて憎しみの混じった険しい顔になった。重苦しい沈黙の時間が流れていた。今宿駅に着く頃になっても、最後までうまく喋れないまことにすっかり失望して「なんや…もう…」とつぶやいた。顔をしかめて沈んだ表情で悲しそうに電車を降りていった。怒ったようなその後姿を見送り、一人になったまことはようやく「ふーぅ!」と絶望のため息を吐いて、今にもめまいがして倒れそうになった。まことは自分でも説明できない、重症のうつ病患者のように不思議な金縛り状態に陥っていた。
そんな別れ方をして何ヶ月かが過ぎてから、彼の精神病院への入院の話を聞いたのだった。

まことは言葉を失ってから、人を苦しめて不幸にしてしまう自分の存在を呪った。(人間とは?・人生とは?・憎しみとは?・罪とは何ですか?)人との正常な関りが持てない自分に悩み、真夜中に一人この石碑の上に来て、暗闇に向かって何度も尋ね求めていた。 (僕は一体、何者ですか?何を背負ってしまったのですか?)だが闇は何も答えなかった。(僕は生きる資格がありません。もうだめです。死ぬことを許して下さい。)まことは忠霊塔の一番高い段に立ち、崖下に身を投げようと決意した。その時、暗闇からの声ならぬ声が聞こえた。まことよ、死んではならない。あなたには大切な使命がある。・・・いつしかそのことの意味がわかる日が来る。どんなに辛くとも耐えて生き抜きなさい。)まことだけに聞こえる不思議な闇の呟きだった。(いいえ、今すぐにその意味を教えて下さい。)闇はまことの質問には答えなかった。(まことよ、あなたは真理を知りたいか?)(はい・・・)(真理のために全てのものを捨てられるか?)(・・・)(あなたは真理のために、愛する者や家族の命を犠牲にして引き換えにすることができるか?)非情な誓いを迫る、「闇の主」との契約であった。まことはすぐには答えられなかった。しばらく長い沈黙の時間が流れた。(でも・・・、それはあなたが全てご存知の筈です。)まことは家族の顔を一人一人思い浮かべながら、あきらめたようにやっと答えた。

(もし・・自分の身に起きた、不可解な謎を解く真理に出合うならば、家族、友人、そして大切な恋人までも全てのものを捨ててもいい・・・)非情の契約を心の中で誓った時、まことはこの忠霊塔に漂う何か巨大な霊に包まれたような気がした。人生の意味を知ること無く、若くして散っていった「無念の英霊たちの魂」まこと近づき、ひとつに重なっていった瞬間だった。

 だが闇の主はこのまことの願いを、そう簡単には叶えてはくれなかった。やがて辿るであろう「光への道」の途上において、悪なるものと善なるものを混ぜながら、小出しに三段階で与えられていくなどとは、このとき想像もつかなかった。
 まこと「世を惑わしながら現われて来る悪の存在の中から、正しい真理だけを確実に選り分けて行かなければならない」という大切な使命が託されていたのだった。まことがこの英霊と本当の意味で一体となるためには、先人たちの通過して来た歪んだ孤独な「茨の道」をたった一人ですべて乗り越えて行かなければならなかった。

 (最近、まことは亡くなった芳喜にますます似て来たばい・・)ゼンは、もの静かになった孫を見ながら、ふとそう思った。幼い頃から、まことは時々芳喜に似たしぐさをすることがあった。
 まだ幼かったまことが小学校から帰って来て、ゼンの姿を家中捜しまわったあげく、長い時間をかけて遠い畑までやって来たことがあった。遠い昔の不思議な出来事を思い出していた。

  --------  回想  -------- 

 あの日、まだ幼いまことは畑仕事をするゼンのそばで遊んでいた。 ゼンはいつも独り言を言う癖がついていた。 その日もまことのいることを忘れていつの間にか遠い昔の世界に戻って(ブツブツ…)と独り言を言いながら畑仕事をしていた。「ふーんそうね、うんうん、そうたい…」傍で遊んでいたまことゼンの話す声に(誰か来たのかな・・?)と思って振り向いたが誰もいなかった。(婆ちゃんはいったい誰と話しているのだろう…?)不思議に思って、その相手を知ろうと耳をすまして聞いていた。独り言を言いながら畑仕事をしていたゼンが突然叫んだ。「芳喜ー!」まことは反射的に「うん…」と答えた。「ハッ?」ゼンは飛び上がらんばかりに驚いて振り向き、放心したようにまことの顔をしばらく見つめた。まことは自分を見つめるゼンの目に、戸惑いと懐かしさが混じっているのを子供心に感じた。 やがてゼンは気まずそうにニッコリ笑うと、何事もなくまた仕事を続けた。
(まことは芳喜の生まれ代わりかも知れん…。この子に何かが起こった時、おれが守ってあげなければ…) まことも昔は、ゼンを自分の母親と勘違いしていた時期があった。幼い頃からゼンのしぼんだ乳房を吸って育ってきたのだった。

  --------

 ある日、畑仕事をしているゼンの耳に、不思議なつぶやきの言葉が聞こえて来た。(ゼンよ、孫のまことは、芳喜と一緒になって、やがて偉大な仕事を果していくようになる…)
 だがゼンはこの閃きのような啓示の深い真の意味など分からなかったが、その不思議な言葉を大切にしまいこむように信じて受け入れた。

 それからしばらく経った。まことが忠霊塔で一人で座っていると、ゼン信子が仲良く何か話しながら登って来た。「おおっ、まこと、ここで遊びよるとね」「うん…」ゼンまことがいつも一人で忠霊塔に座っているので不思議な気がした。


ゼンはまことを悪く言う信子の言葉をさえぎり必死にかばった。

ゼンは優しい目でまことをじっと見ながら突然、信子に聞かせるように 妙なことを言いだした。「まことは将来、立派な仕事をするとぞー、ねーっ」だが信子の学校での様子を噂で知っていた。信子の友達に、まことと同じクラスの弟がいたので、まことが教室では白痴状態にあることを聞かされていたのだった。「何ね、まことは精神が弱いとよ!」ゼンまことのことを悪く言う信子の言葉をさえぎり必死にかばった。「何ん言いよるとか!まことは立派な仕事をするとぞ!」「なんね、婆ちゃんはまことが学校でみんなに何て言われよるか知っとるとね!」「しゃあらしか!お前なんかには判らんと!」たちまちゼンと信子との激しい口喧嘩が始まった。「婆ちゃんは、まことが学校でどんなふうに過ごしているか知らんっちゃろうが」「おお、知らん知らん!しゃあらしか!これ以上言うなー、お前はー!」とうとうゼンは怒って一人でさっさと降りて帰って行った。 まことはそんなゼン信子の不可解な言動を、黙ってただ見つめていた。




    排他的人間

 やがてまことは、高校を卒業して博多の鉄工所に勤めるようになった。旋盤で鉄の部品を削る単調な仕事だった。毎日、創造性を否定され機械の歯車の一部になることを要求された。ノルマは一日三百個だったがどう頑張っても、二百個も削れはしなかった。(生きて行くための仕事は辛いものだ・・)ここでも皆の輪に入れず、社会に適合しない自分に悩み続けた。仕事をしてる間はいいが、みんなから孤立化するわずかな休憩時間が、たまらなく息苦しく苦痛だった。



ポツンと一人で座っていたまことに広田が話かけてきた


 ある休憩時間、まことはいつものようにみんなから離れて旋盤の前にポツンと一人しゃがんでいた。 その時、少し離れた旋盤工の一人が、手招きして暖かいストーブの方に来るように勧めた。一年前から寮に入って働いていた広田という若い青年だった。 やがて彼の優しさに惹かれて寮に入り、その青年と相部屋になった。 社会に出て初めて出会った友人であった。寮の中でも皆に馴染めず孤立化していたまことを食堂に誘って「おにぎり」を一緒に作ったり、やさしく輪の中に入るように導いてくれた。

 この青年は同じ年でありながら、ずいぶんと大人びていた。だが、彼は高校を中退して、革命思想に人生を捧げる決心をした、若き「極左革命の青年幹部」だった。毎夜、彼の話を聞いている内に、だんだんと共産主義の革命思想の洗脳を受け、唯物論により変わっていく自分が怖かったが、まことは頼りがいのある友達を失うほうがもっと怖かった。


ある夜、広田は盛んに中共の素晴しさを熱っぽく語った。


 皆が寝静まったある夜、広田が言った。「資本家の奴等は銃で倒すしかない・・」「・・でも、資本家も人間だから、良心に訴えれば、いつかは労働条件も改善してくれるんじゃないの?」そうまことが言うと「その考えは甘いよ。そんなもんで世の中が変わるんだったら苦労はしないさ!」広田は乱暴に吐き捨てて、盛んに中共の素晴しさを熱っぽく語った。「でも、中国って、とても貧しいんじゃあないの?」まことがやっと言うと、広田は突然、人が変わったように大声で怒り出した。「あんたに何が判るんだ!見て来たことがあんのか!」「あ・・・」驚いて唖然としているまことを見て、大声を出して怒鳴ったことを反省したのか、急にやさしい声に戻って弁解した。「確かに今は貧しいかも知れない。でもね今、みんなで力を合わせて国造りをして苦労しているんだよ」彼は冷静さを装ったが、それ以上、まことに一言も反論を挟ませなかった。そのあまりの気性の激しさに、気の弱いまことはそれ以来、素朴な質問や反論の言葉を飲み込んでしまった。



      闇夜の暴走

 そんなことがあって、まことは寮の部屋に帰って広田と顔を合わせることが、何だかおっくうになった。仕事が終わるとそのまま汽車に乗って糸島の実家に向かった。裏口から突然現われたの久しぶりの帰宅にゼン「おー、帰ってきたね」と飛び上がるほど喜んだ。だがそれも束の間、まことは裏の物置き小屋に置いていたバイクを持ち出して、すぐいなくなった。まことの脳裏にはゼンのガッカリした姿がよぎったが、とにかく今はバイクをぶっ飛ばしてみたかった。 そのまま乗って、気がつくといつの間にか博多の方に二時間かけて戻って来ていた。 
 それから度々、仕事が終わるとそっと寮を抜け出しては、闇夜の都会の中を風を切って走った。



バイクは空中にふっ飛び ジャリ道に引きずられた。

 ある夜、高速で飛ばしていた道路の先に、ポッカリと大きな穴が現われた。その瞬間、「ガクン!」と激しい衝撃が走った。穴に前輪が落ち込んだ反動で、バイクは空中にふっ飛び操縦不能になった。「ああっ」ハンドルを取られて、車輪が「ガクン、ガクン」と何度か地面を跳ねた。立て直すことが出来ないまま、十メートルほどジャリ道を引きずられた。「ザザザザー」まことの体は一回転して宙を飛び、背中を地面に激しく叩きつけられた。「ドサッ」「ううっ」 そのまま気を失った。しばらくしてようやく起き上がると、ブルブルと震えの止まらない手でバイクを起こして、よろめきながら寮に帰っていった。


扉をあけて鏡を覗くと全身血だらけの姿が写っていた。


 部屋に戻って、洋服タンスの扉をあけて鏡を覗くと全身血だらけの姿が写っていた。こんな真夜中だというのに広田はどこか外に出かけていた。腰から大量の血が流れて止まらなかった。(もう今日は遅い・・)まことは畳の上に厚めに新聞紙を敷き、広げた新聞紙にくるまって、そのまま寝た。
 翌朝いつものように仕事に出たが、出血し過ぎたせいでめまいがして気分が悪くなった。とうとう耐えきれなくなると、早退を願い出て病院に行くことにした。全治二週間の入院であった。



病院の階段をようやく上がって来た父は「大丈夫か?」と聞いた。

 日曜日になると、事故の連絡を受けたチカと次女かつえが見舞いに現れた。「まこと、あんた大丈夫ね」「うん、大したケガじゃないから、心配かけてごめん」軽症で元気そうなので二人はほっと安心した。「実は父さんも一緒に来てるのよ」「えっ本当?」少し遅れて父も来ているらしかった。足が不自由でふだん、めったに外出しない出不精のが自分のために来てくれたことが信じられなかった。(義足の父が怪我した自分を心配してわざわざ病院まで来てくれるなんて・・)まことの心は申し訳ない気持ちになった。二人は診断内容を聞くために降りていった。入れ替わるように、しばらくすると父の足音が聞こえてきた。手すりにつかまりながら、義足の足で「ギシッ、ギシッ」と病院の階段を一段ずつゆっくり上がって来た。その苦労して少しづつあがってくる父の姿が廊下伝いに窓からチラッと見えた時、まことの胸に急に熱いものが溢れてきた。(父さん、心配かけてごめんよ)暖かいほのぼのとした、親子の情が湧いて来る絆を初めて感じていた。父親に対して、こんなに切なく熱い思いを抱けたのは、生まれて初めてだった。

小説ポチよ 泣かないで
T少年編  第3話
 おわり

第1話

第2話

第3話

U青春編 つづく

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ポチよ 泣かないで

第一章 少年編

少年期

青春期

完結編

目 次

あらすじ

苦悩の少年は忠霊塔「暗闇」に誓う
英霊ウス訓練場へ導かれていく

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