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エジプトからの脱出に果たしたモーセ一行は荒野の中を約束の地を目指していくことになる。その途中に出エジプトの中心舞台であるシナイ山がある。 シナイ山は現在のエジプト領のシナイ半島サンタカテリーナという場所にあり、標高2,288m。カイロから実に700キロ近い道のりを経た場所である。現在エジプトならびにイスラエルからバスでの観光ツアーで多くの観光客が訪れているようである。また頂上からの御来光を目当ての登山者も多いようである。 エジプトを出て約3ヶ月後のモーセ一行はシナイ山のふもとに到着する。そこでモーセは山に登るようにとの神からのお告げを受け、そこでが十戒を受け取ったとされている。この事件は、ユダヤ教の成立の上で重大なものであった。以下が旧約聖書の出エジプト記20章に記されている十戒の内容である。 前文:わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。(出エ
20/2) 上記の十戒の中で、特に現在のユダヤ教にも大きな影響を及ぼしているのが、第一戒、第二戒、四戒である。ユダヤ教のシナゴーグは実に質素で、信仰の対象として崇める像のようなものは一切ないのは第一戒と第二戒の影響である。ユダヤの神のみを崇め、一切の偶像を崇めないのである。それがユダヤの神を中心とした強烈な自律意識を生み出し、ユダヤ人は頑固者であり、頭を下げるのが嫌いで、自己主張の強い付き合い難い民族だと言われる原因となっているのかもしれない。 実際イスラエルでは二人集まれば三つの政党ができると言われるぐらい自己を主張し様々な意見が飛び交うようである。筆者はある日本びいきのユダヤ人と会って話したとき、イスラエル人は自己を主張しすぎる。それに比べて常に全体を重んじる日本は実にいいと言っていた。 そして第四戒が安息日の規定である。イスラエルの公式の休日は日曜日ではなく安息日の土曜日である。 荒野をさ迷う中で、指導者モーセと民衆の間で結束を失うことが度々あったようである。シナイ山頂でモーセに十戒の石板が与えられていよいよ約束の地へ向かって進むかと思われたときもそうであった。民衆は第二戒を破ったのである。金で子牛の像を作り、これをを拝んだと記録されている。(出エジプト記 32/1-6) そしてこの後も何度も何度もイスラエルの民は神様に背き、合計40年の歳月をシナイの荒野で過ごすことになったようである。 そこで民衆の結束の中心として幕屋をつくることになる。この幕屋が後に神殿となり、メシヤ信仰と続いていくことになる。ユダヤ教の聖地である嘆きの壁は後に築かれ、崩壊した神殿のわずかに残った壁である。幕屋はちょうどの日本の御神輿のようなものと考えるとよいようである。ちなみに御神輿はイスラエルの伝統が日本にもたらされたものという説もある。御神輿が神社の縮小体であるように、幕屋は将来の神殿の縮小体としての意味があったようである。またそれは来たるべき救世主、メシヤの象徴としてイスラエルの民の結束のためにつくりだされたのであろう。 出エジプトの話は民衆の結束、ユダヤの神への信仰を保つことの難しさを見事に描き出しているように思われる。 (引用した資料) 出エジプト時代 十戒が授けられた山 聖書の舞台となった地・中東を旅する人のためのページ / キリスト者のための旅行案内
○モーセの最期と後継者による悲願達成 エジプトを後にし、シナイ山でユダヤ教の基礎となる十戒を受け取ったモーセ一行はカナンの地をめざして、出発の準備を始める。荒野の中をカナンの地まで旅するにあたって、イスラエルの民衆の信仰を保つためにつくられたのが幕屋であった。モーセは幕屋建設の指示を事細かにヤーウエの神より受けとったとされる。後に建設されるイスラエルの神殿は、この幕屋を発展させたものである。幕屋には契約の箱が安置され、その中には十戒を刻んだ二枚の石板が入っていたそうである。幕屋は移動神殿であったわけである。移動神殿と共に、イスラエル共同体は旅する教会として、再び荒野に旅立ったのである。 「イスラエルのすべての家の者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。」(出エジプト40/38)という状況の中で、全て神と共に、幕屋即ち、神殿中心に行動することになった。 しかし荒野の中を徒歩で旅するのは並大抵のことではなく、イスラエルの民に幾度となくカナンへの旅をあきらめようとする事態が生じる。ヨルダン川東岸(現在のヨルダン領)を北上し、いよいよ約束の地ヨルダン川西岸を目指そうというとき、モーセは神の啓示で、自身はカナンの地に入ることが出来ないと告げられる。モーセは幕屋を中心に、カナンへ至ることに意欲を燃やす次の世代を励ましながら120才の生涯を終えることになる。 現在のヨルダン領にあるピスガの頂(ネボ山)からは死海の全景は勿論、ヨルダン川、イスラエル側の西岸世界最古の町エリコならびにエルサレムの町まで手のとるように眼下に見ることができる。モーセは、その頂から、約束の地カナンを眺めながら、その生涯を閉じることになる。(ネボ山は標高710メートルと小高い山になっているが、実際はヨルダン渓谷はマイナス400メートルであり、その落差が1100メートルに達する。) モーセの意志を相続した若者たちは、幕屋を担ぎ、ヨルダン川を横切り、西岸へと進軍する。そして破竹の勢いで、その地域にいた諸王と戦い、勝利を収め、その地に定着基盤を築く。これは現代のイスラエルが周囲のイスラム諸国と戦い、勝利を収めイスラエルの国を建国し、その地位を不動のものにしていったことを彷彿させる。イスラエルの強さはこのような歴史的、信仰的根拠に由来しているのかもしれない。しかし現代版の方は中東の緊張を生み出したことには違いない。 (引用した資料) 旧約聖書の謎に挑戦 - 幕屋の秘密 旧約聖書とモーセ五書 - 幕屋と金の子牛 神話の周辺(ネボ山)
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